“幸せ”とは
2008-08-23 Sat 12:00
Blog記事強化週間ー記事9(最終回)

人の“幸せ”っていったい何だろう?


人はまさに十人十色で、それぞれ考え方や感じ方が違う。
人の数だけ“幸せ”はある…そう言ってしまえば簡単だけど、もう一歩踏み込ませていただきたい。

人の数だけあるのなら、あなたの幸せは何ですか?

友人は次のように答えてくれた。
「欲求を満たせる環境にいること。欲求は生きがいであり、それがあるからこそ生きられる。」

一方で、富裕国の身勝手な政治的意図により戦火にまみれている、遠い発展途上国の人々を憐れみながら、「衣食住が満足ならそれで幸せ」という人もあろう。確かに、足るを知ることは尊いと思う。

しかし、社会が複雑化している現代の日本においては、たとえ衣食住が満ち足りていても、鬱病になったり自殺したりする人々が後を絶たない。
“幸せ”という言葉は玉虫色であるとはいえ、自殺しようという人が現在形で口にする単語ではないであろう。つまり逆に、鬱病になったり自殺したりする人々の多くの“幸せ”は、ほぼ確実に「衣食住」以外にあるといえる。社会が発展し、可能性が広がり、“幸せ”すら多様化しているのだ。それは同時に、“幸せ”の天敵である不安や恐怖が多様化していることを意味する。資本主義、競争社会、格差社会…多様な人々が暮らす社会が成り立つためには、それ相応の仕組みが必要不可欠であろうが、理性と本能を併せ持つ、人…やはり弊害も起こる。
時代や社会というものは紛れもなく人がつくっている。歴史の教科書に載った出来事だけでその時代は語れないはずだし、マスメディアが選択的に捉えた事件だけが現実の社会ではない。教科書に載った過去、カメラに映った過去よりも、そうでない過去の方が遥かに多い。話が逸れた。

“幸せ”と最も縁の深そうな言葉は“平穏”や“平和”ではないだろうか。

本質的には誰もが平和を望むであろう。“平穏”や“平和”の定義というのも非常に難しいけれども、やはり天敵は不安や恐怖であろうし、“幸せ”に近い。そういった心の晴れ模様は、おそらく誰もが望むものであろう。しかしそれは、前述したような現在の社会では特に、一人で得られるものではないと思う。周りの人と助け合ってこそだ。自分だけそんな状態を望んでも、なれないものだ。

結局、“幸せ”や“平和”っていう言葉に対して小難しく定義の精度を上げようとすることよりも、例えば戦争のない世界は平和に違いないと信じるなら、自分が関われる身近では絶対に戦争を起こさせない、もっと簡単に、つまらない争いごとを起こさない、といった心がけをするほうがよっぽど世界が平和(幸せ)に一歩近づくのだろう、という結論に至る(自らの問題提起は棚に上げて…)。
たとえ遠い異国の地で苦しむ人々をテレビで見てすぐに現地へ駆けつけても、できることは焼け石に水かもしれない。そんな出来事は世界中の至るところに溢れかえっているのかもしれない。

世界中のより多くの人が、自分の身の周りの大切な人だけでもいいから幸せになることを望めば(より多くの人が、身近な他人事を自分事にできれば)、たった一つしかない地球、住んでいる地球人全員がどこかで繋がって世界平和が実現できるのかもしれない。穴の多い理想論だと自覚はしているけれども、絵空事だと笑う厭世家にはなりたくない。
大学卒業祝いに大切な人がくれた4つ葉のクローバーは、今でも水をあげるだけで次々と幸せの芽を出す。

…いつの間にか話が大きくなりすぎるのが自分の悪い癖。過度な一般化は鬱病のもとらしい。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

ここに記した考えはあくまで現在完了形のものであって、コロッと心変わりするかもしれないけれども。
多くの巨人の肩を借りつつ、小人なりに現実をよく見つめ、自分のなすべきことを試みるのみ。



Tomo氏の尽力により集った小人同志の皆さんによる、Blog記事強化週間もこの記事でラストとなりました。一応このブログの開設者ということで、何か一言書くようにTomo氏から言われてます。

しかし当ブログの管理はほとんどTomo氏によるものであり、自分は何もしてないのでTomo氏バンザイとしか言いようがありません。運営にご協力いただいている多くの方々に大いなる感謝を捧げながら、ブログの更なる発展を願ってやまないわけですが、ここで今後の方向性について最近得たヒントをご紹介して、締めくくりとさせていただきます。

先日、今を時めく金沢21世紀美術館へ行ってきました。
営業の継続が難しいとされる美術館において、年間150万人という驚異的な動員を続けているわけですが、そこには美術館としての全く新しいコンセプトがあります。

街中の公園に、円形のドーム状の建物として存在し、四方の4箇所どこからでも入れます。外からは、ガラス越しに館内の洒落たカフェでくつろぐお客さんが見えます。白壁をふんだんに使った明るい館内は、従来の美術館とは明らかに一線を画すものがあり、なんと子ども達が自由にはしゃげるような雰囲気なのです。そこに館長の狙いがあります。無料ゾーンとしてクオリティの高い作品も常設し、あの手この手で敷居を下げ、小難しいイメージの現代美術をしかめっ面で腕を組まずに楽しめてしまう環境を整えているのです。事実、幅広い客層で溢れており、地元住民のリピーターも多いそうです。

誰でも自由に気軽に立ち寄れる、けどいろんなワクワクが体験ができる、そこを出ても何か心に残るものがある…そんな空間、素敵だと思いませんか?

参考文献



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蝸牛の憂鬱
2008-01-24 Thu 00:31
名古屋は、今日は一日ぐずついた天気でした。



小林大吾という詩人の詩をご紹介します。


『蝸牛の憂鬱/miles away』


(前略)


右手には冷たいピストルがある

左手には温かい愛がある

驚いてピストルを投げ捨てる

「落としましたよ」と

親切に拾ってくれた人の

てのひらには愛がのっている

面食らって自分の左手をみれば

捨てたはずのピストルをにぎっている

そのくりかえし




つやつやした愛を山ほど背負いながら

死の商人は神様みたいにやさしく諭す

「わかってないな、なぜ武器を捨てる?

守りたいものがあるんじゃないのか?

ピストルもまた愛のひとつだ

大切なものを守りたいと

つよく望む気持ちが愛ではないなら

いったい何を愛と呼ぶのか?」




匙を投げれば必ず悔いる

向き合えば気が遠くなる

すべての争いが愛の産物だなんて

そんな馬鹿げた話があるだろうか?

両手に持った愛とピストルが

どちらもただの石ころに見えて

うっかり立ち止まるその足元を

かたつむりがのんびりと行き過ぎる


(後略)


この詩は、ソウルフルで心地よいトラックとリーディング(とでもいうべきか?)で構成されたCDの1曲から。

この曲が収録されたアルバムは、以下のサイトで全曲試聴できます。
詩人の刻印

同タイトルの小説もお薦めです。
蝸牛の憂鬱
あ、作者は別の人です。



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知ることで見えるようになり、見えなかった幸せを見たり
2008-01-12 Sat 18:49
卒論の研究背景を書くために文献を調べていたら、目的と関係ないのについつい読んでしまった本がありました。

著者は、電磁波と住環境について取り組んでいる会社の代表取締役。
氏によれば、本のタイトル通り『オールアース時代がやってくる』。

最近、オール電化という声が大きくなってきました。家庭で必要なエネルギーをすべて電気で賄うというものです。例えばIHクッキングヒーターでガス事故の危険がなくなったり、省エネになったりといった、明るい側面の認知度は上がってきていると思います。しかしオール電化を実現するには、より大きい電場を発生させる配線が必要となります。これは、より大きい電磁波が発生することを意味しています(電磁波=電場+磁場+波)。

電磁波による人体への影響はまだはっきりと明らかになってはいませんが、以前から問題視されています。本の中では、「1階の照明の真上に布団を敷いて2階で寝ている子どもが寝つきが悪く、よくオネショをしていたが、別の部屋で寝るようになったら治った」「アレルギーに悩まされている子どものベビーベッドが、壁を隔て、リビングのテレビの背面と隣り合わせになっていた」といった電磁波にまつわるエピソードが紹介されていました。
また、携帯電話の周波数は800MHz〜1.5GHz程度ですが、1.5GHzの電磁波というのは1秒間に15億回振動する波です。影響がないはずはない、と考えるのが妥当ではないでしょうか。

そして、著者によれば日本はその電磁波の対策が遅れており、先進国の中でもいちばん電磁波が強いといいます。


ここまで驚かしてきましたが、家電製品は基本的にある一定の距離をとれば問題はなく、画面によく埃がくっついて電磁波の存在が見て取れるテレビも、離れて見る分には問題ないようです。パソコンはしっかりアース(接地。電気を地面に逃がして電磁波の発生を防ぐ)をとったほうがいいようですが。アースさえとれれば対策はできるそうです。携帯電話の場合は、できれば通話時にイヤホンを利用するべきだそうです…難しいですね。

著者が主張しているのは、「家をつくる」ということを考えるときに、健康な住まいづくりのため、家電製品の配置や、先に述べたより大きい電場を発生させる配線の対策(アース)をもっと考えるべきではないか?ということです。つまり、これからは「オールアース住宅」で健康的な生活を送りましょう、ということでした。


アースをとっていないパソコンで記事を書きながら、なんとなくどんよりした気分になってきました。電磁波のせいなのか、はたまたプラシーボ効果なのか…。

異業種・異分野のクロスオーバーの重要性を感じました。




オールアース時代がやってくる―快適な住まいに電磁波対策は欠かせないオールアース時代がやってくる―快適な住まいに電磁波対策は欠かせない
(2005/10)
土田 直樹

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ソラニン/浅野いにお
2007-12-11 Tue 23:50
優れた作品ほど、“自分”を見せてくれるものじゃないかと思う。

浅野いにおの漫画『ソラニン』に描かれているのは、今の日本ならどこでも見られそうな、どうってことない人たちのどうってことない日常だ。なのに…なのか、だからこそ…なのか、そこに感動が生まれる。とても感情移入しやすい。今の日本という社会に暮らす、自分と同世代くらいの人物の誰もが持ってそうな感情や考え方を、リアルに反映させているせいだろうか。

なんでもない日常の中にある小さな喜び、慣れてしまっていつの間にか気付かなくなっている奇跡、当たり前であることの幸せ、そういうものに気付かせてくれる。そんな作品は、今まであまり出会った覚えがない。

しかし、“感動”の一部は受け手側の感情のルーツとなるアイデンティティが担う。なんでもない日常に感動を見出すことができた、自分を発見できたのは嬉しい。…発見ではなく、再会なのかもしれない。まだ世界に慣れていない頃、裸に近い心との。

ソラニンは映画化も決まっているそうだ。
漫画は売れると、すぐ大衆というベルトコンベアーに乗せられて、映画化だのアニメ化だのという工程に運ばれていく風潮があるけれども、その現象自体はともかくとして、作品にそれだけ人を動かす力があるということなんだろうと思う。


この作品を端的に表せる表現を考えていて、向田邦子の次の言葉がぴったりきた。
「人生に無駄はない。真剣に生きてさえいれば。」




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人間の送信
2007-12-04 Tue 01:40
携帯電話は、通話相手から基地局や交換機を経由して送られてきた電気信号を音声として受信する。また一方で、音声を電気信号として相手に送信する。

それに対して人間は、日常生活で思考や潜在意識を経由して得た経験や知識を、記憶として受信するといえるんじゃないか。

そう考えたとき、人間はそうして得た記憶から、いったい何を送信できるのか?


携帯電話における“電気信号”は、科学の力で増幅できる。
人間における“記憶”は、感情で増幅できる。

携帯電話は、情報をそのままの状態で他に伝えることが最高の働きだ。
では、人間は…?

いま僕が思う、人間による最高の送信は、創造だ。

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