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2007-12-03 Mon 22:24
掲載が遅くなって申し訳ないです。巨人スタッフ
a woman 先日、赤福の表示偽装が発覚して、「食の安全性」という言葉がニュースやワイドショーでよく聞かれます。 ですが、本当に偽装表示されていた赤福が安全じゃないものだと思いますか?私はそんなことはあり得ないと思います。あれだけ大量に偽装された商品が出回っていたのなら、たいていの人は偽装された商品を食べていたと思います。それでも、おいしいと思って次も買っていたんでしょう。なのに、偽装が発覚したとたん「だましていたなんて!!」、って偽装済みのもので満足していたんでしょう? 怒るほこさきが、「誠意がない」という点に向かっていれば話はわかります。でも。製造方法が巻きなおしだってわかった所で、これからも巻きなおし製品を食べてもお腹を壊すこともなければ、味が変わるわけでもないんだから…。 だいたい、日本の食品ってものすごく安全で、企業が決めた賞味期限内に食べればお腹をこわすこともまずないんだから。企業はそこにはものすごく神経を使って決定を下していると思いますよ。 それを大半の日本人は騒ぎすぎなのです。例えば、オーストラリアでは、スーパーで売られている卵は割れてても当たり前。買う前に紙でできたパックを開けて12個全部確認してから買うんです。そのときに、手にとった紙のパックから卵液がボタボタ…なんてことも普通に起こります。牛乳にしても、あちらの牛乳の賞味期限は本当に未開封の状態での期限なのでいくら期限内でも、開封した牛乳であればお腹を下します。私は3リットルの牛乳を買っていたのですが(安いので)開封後、7日も経っていれば期限内でも捨てます。 とまぁ先進国であっても、他の国ではこんなことも起こっているんですね。それを経験しているとお腹をこわしたわけでもないのに、安全性について、そこまで騒いだり怒ったりせんでも…という気になってくるんです。 |
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2007-11-30 Fri 23:49
最近はどの切り口から考えても同じところへたどり着いてしまう。でもとりあえず、私の専門分野の食物から入ってゆきます。
今、世界では、世界中の人々が、平等に食物を分け合えば、皆が十分に生きていける量の食物が生産されているらしい。けれど、世界には飢えて死んでゆく人もいれば、肥満が原因で様々な病気にかかる人もいて、先進国では大量の残渣が捨てられています。そればかりか、ここ日本でも余剰作物という名の市場に出回る前に生産者の手によって廃棄処分される農作物が存在するのです。どうしてこんなことが起こってしまうのか?それを私なりに考えてみました。 一部の人は、余った食物は途上国に安く売ってあげるか、あげればいい。と、言うけれど、でもそんなことをいつまでもしていたら、その国の農業は成り立たなくなってしまう等の問題が起こります。では視点を変えて、なぜ飢餓がおこるのか、といえば、その国で農作物がとれないからでそれは飢餓の場合もあるけど、多くは、その国の政治が成り立っていないからだ。という見方が正しいと思います。 戦争や政府の抑圧体制によって、十分な食べ物が手に入らない。しかし、大半の国で他の事に使っているお金を、食物を買うお金に回せれば、そんなことにはならないはずなのです。労働がなければ国は発展しません。ならば、より多くの労働力が得られるように、自国の食糧事情を改善するのは国のトップに立つ人において当然のことのように思います。しかし、それができない。トップに立つものが、征服欲や優越感を捨てられないからじゃないでしょうか?1つには、他国を攻める国でトップを維持するという野心によって、戦争、内戦、抑圧が起こっていることが問題です。もう1つの問題は、国際化によって世界が繋がって、先進国と途上国ができてしまったことだと思います。もし仮に、この2つの問題が解消されたなら、先進国が平等ということ、共に発展するということに力を注いで国家間の圧力やしがらみが消えるでしょう。そして、失うばかりの戦いもなくなり途上国を発展させることが容易にできるでしょう。 しかし同時に、私はそれはあり得ないことだとも思っています。 なぜなら征服欲や優越感というのは、人類が誕生したときからインプットされている感情だと思っているからです。だからといって、思いやりや、福祉の心を持った人をエセだとか思っているわけではないです。それもまた人間に元々ある感情だと思っています。愛情が少ない人もいれば憎しみが少ない人もいます。それと同じように、思いやりの少ない人もいれば、征服欲の少ない人もいるというだけの話でしょう。そして問題は、征服欲や優越感に浸りたいと強く望む人ほど、トップに立っていること、また一度上に立ってしまうと優越感を捨てる気になれないことだと思います。 ここ日本から支援を差しのべる人もいるでしょう。多くの人が途上国の現状などを知った時、何か少しでもしてあげたいと思うでしょう。ではそれ(支援)が進んで、もし世界がより解放的になってすべての国が同じラインに立ったとしたら?今度はもしかしたら自分たちの国が落ちてゆくとしたら?そこまで考えたらきっと“支援もある程度でいいんじゃない?”とか“食料が十分に分け与えられればいいんじゃない?”というレベルにまで、考え直すことでしょう。 私はこれはいじめを傍観している子どもと同じだと思います。大人は“見てみないふりをするのも同罪だ”とか“勇気を持って助けてあげよう。”といいます。確かに、そういう道徳観を持たせるのは大切です。でも、自分たちは?私は大人は子どもに比べてよっぽど汚くて臆病だと思います。結局自分たちが優越感を感じていられる程度、自分たちが落ちてゆくことに対する不安が感じられない程度の支援、以上は起こりえないと思うのです。 でも私はそれを責めたりしたくて、これを書いてるわけじゃないんです。これはなくならないことだし、仕方のないことだと思っています。なぜなら、優越感や征服欲なしでは、文明は起こらなかっただろうし、それがあることが人間と他の動物たちとを分けた大きな要因だったと思っているからです。世界が人類がここまで発展してきた原動力として人より良い暮らしがしたい。尊敬されたい。という思いがあったからこそ、今の世界があると思っています。 文明と格差は人類の光と影の面で表裏一体のものだと思います。もし、それらの欲がなければ、人はまだ狩猟・採集生活をしているかもしれません。 a woman |
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| 巨人の肩の上から |
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