“幸せ”とは

ここでは、「 “幸せ”とは」 に関する記事を紹介しています。
Blog記事強化週間ー記事9(最終回)

人の“幸せ”っていったい何だろう?


人はまさに十人十色で、それぞれ考え方や感じ方が違う。
人の数だけ“幸せ”はある…そう言ってしまえば簡単だけど、もう一歩踏み込ませていただきたい。

人の数だけあるのなら、あなたの幸せは何ですか?

友人は次のように答えてくれた。
「欲求を満たせる環境にいること。欲求は生きがいであり、それがあるからこそ生きられる。」

一方で、富裕国の身勝手な政治的意図により戦火にまみれている、遠い発展途上国の人々を憐れみながら、「衣食住が満足ならそれで幸せ」という人もあろう。確かに、足るを知ることは尊いと思う。

しかし、社会が複雑化している現代の日本においては、たとえ衣食住が満ち足りていても、鬱病になったり自殺したりする人々が後を絶たない。
“幸せ”という言葉は玉虫色であるとはいえ、自殺しようという人が現在形で口にする単語ではないであろう。つまり逆に、鬱病になったり自殺したりする人々の多くの“幸せ”は、ほぼ確実に「衣食住」以外にあるといえる。社会が発展し、可能性が広がり、“幸せ”すら多様化しているのだ。それは同時に、“幸せ”の天敵である不安や恐怖が多様化していることを意味する。資本主義、競争社会、格差社会…多様な人々が暮らす社会が成り立つためには、それ相応の仕組みが必要不可欠であろうが、理性と本能を併せ持つ、人…やはり弊害も起こる。
時代や社会というものは紛れもなく人がつくっている。歴史の教科書に載った出来事だけでその時代は語れないはずだし、マスメディアが選択的に捉えた事件だけが現実の社会ではない。教科書に載った過去、カメラに映った過去よりも、そうでない過去の方が遥かに多い。話が逸れた。

“幸せ”と最も縁の深そうな言葉は“平穏”や“平和”ではないだろうか。

本質的には誰もが平和を望むであろう。“平穏”や“平和”の定義というのも非常に難しいけれども、やはり天敵は不安や恐怖であろうし、“幸せ”に近い。そういった心の晴れ模様は、おそらく誰もが望むものであろう。しかしそれは、前述したような現在の社会では特に、一人で得られるものではないと思う。周りの人と助け合ってこそだ。自分だけそんな状態を望んでも、なれないものだ。

結局、“幸せ”や“平和”っていう言葉に対して小難しく定義の精度を上げようとすることよりも、例えば戦争のない世界は平和に違いないと信じるなら、自分が関われる身近では絶対に戦争を起こさせない、もっと簡単に、つまらない争いごとを起こさない、といった心がけをするほうがよっぽど世界が平和(幸せ)に一歩近づくのだろう、という結論に至る(自らの問題提起は棚に上げて…)。
たとえ遠い異国の地で苦しむ人々をテレビで見てすぐに現地へ駆けつけても、できることは焼け石に水かもしれない。そんな出来事は世界中の至るところに溢れかえっているのかもしれない。

世界中のより多くの人が、自分の身の周りの大切な人だけでもいいから幸せになることを望めば(より多くの人が、身近な他人事を自分事にできれば)、たった一つしかない地球、住んでいる地球人全員がどこかで繋がって世界平和が実現できるのかもしれない。穴の多い理想論だと自覚はしているけれども、絵空事だと笑う厭世家にはなりたくない。
大学卒業祝いに大切な人がくれた4つ葉のクローバーは、今でも水をあげるだけで次々と幸せの芽を出す。

…いつの間にか話が大きくなりすぎるのが自分の悪い癖。過度な一般化は鬱病のもとらしい。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

ここに記した考えはあくまで現在完了形のものであって、コロッと心変わりするかもしれないけれども。
多くの巨人の肩を借りつつ、小人なりに現実をよく見つめ、自分のなすべきことを試みるのみ。



Tomo氏の尽力により集った小人同志の皆さんによる、Blog記事強化週間もこの記事でラストとなりました。一応このブログの開設者ということで、何か一言書くようにTomo氏から言われてます。

しかし当ブログの管理はほとんどTomo氏によるものであり、自分は何もしてないのでTomo氏バンザイとしか言いようがありません。運営にご協力いただいている多くの方々に大いなる感謝を捧げながら、ブログの更なる発展を願ってやまないわけですが、ここで今後の方向性について最近得たヒントをご紹介して、締めくくりとさせていただきます。

先日、今を時めく金沢21世紀美術館へ行ってきました。
営業の継続が難しいとされる美術館において、年間150万人という驚異的な動員を続けているわけですが、そこには美術館としての全く新しいコンセプトがあります。

街中の公園に、円形のドーム状の建物として存在し、四方の4箇所どこからでも入れます。外からは、ガラス越しに館内の洒落たカフェでくつろぐお客さんが見えます。白壁をふんだんに使った明るい館内は、従来の美術館とは明らかに一線を画すものがあり、なんと子ども達が自由にはしゃげるような雰囲気なのです。そこに館長の狙いがあります。無料ゾーンとしてクオリティの高い作品も常設し、あの手この手で敷居を下げ、小難しいイメージの現代美術をしかめっ面で腕を組まずに楽しめてしまう環境を整えているのです。事実、幅広い客層で溢れており、地元住民のリピーターも多いそうです。

誰でも自由に気軽に立ち寄れる、けどいろんなワクワクが体験ができる、そこを出ても何か心に残るものがある…そんな空間、素敵だと思いませんか?

参考文献



関連タグ : 幸せ, 美術館、科学館,

この記事へのコメント
身近な大切な人の幸せさえも思えなくなってるのかもしれないですね。
あと、欲求水準が上がっているっていうのも同感です。
向上心が高いともいえますが、当たり前にある存在に気づけないのはもっと寂しい。
単純って思われてもいいから、幸せの感度がいい人でありたいです。
2008/08/25(月) 00:59 | URL | あい #-[ 編集]
コメントありがとうございます。

人は誰でも“慣れ”てしまうものですが、当たり前の生活という慣れたものが、どれだけ多くの当たり前でないものによって成り立っているか、たまに考えてみると少し世界が新鮮になります。

子どもは世界に対して感度良好ですが、傷付く度に自己防衛のためのフィルターを作ってしまいがちです。幸せの感度を保っていくには、本人だけでなく、親、家族をはじめとして身近な人が鍵を握っているのではないでしょうか。だからこそ、身近な人同士で相手の幸せを思うことが大事だと思えてしょうがないです。
2008/08/25(月) 22:44 | URL | N #-[ 編集]
おれも次は金沢21世紀美術館行きたいなぁとおもってます。Nの提案のようにいろんな人が気軽に参加できる場にできるようにしたいなぁと思います。みんなで相談して、何かいい案を見つけたいと思います。

幸せについて
あいさんの言うように確かに幸せの感度を高く持っておくというのは大事だなぁと感じました。毎日の生活で自分を見失いがちになると、周りも見えなくなるし、あっという間に過ぎてしまうしね。
2008/08/28(木) 00:20 | URL | Tomo #i2fTLCak[ 編集]
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